昔ながらの原風景が広がる、奥信濃の北志賀高原。 その里山にある「夜間瀬あけび工房」の管理人、松本百合子さん。 自然の中で生き、山とともに暮らす百合子さんとおしゃべりしていると、 いつものように、季節の手しごとがはじまりましたよ。 さあさあ、夜間瀬あけび工房の囲炉裏端へ、みなさんもどうぞ、ごいっしょに。
一針一針が癒しになる。
百合子さんのさるぼぼ作り。
「このさるぼぼはね、つるし雛(ひな)にするんだよ。私、申年生まれでね、かわいいさるぼぼ見て作ってみたくなったの。作り方なんかYouTubeにたくさんあるでしょ。いろいろ参考にしながら、私でもできる簡単な方法で作ってる。本来のつるし雛はちりめんで作るんだけど、針が通りやすい綿を使ってるし、色も本当は真っ赤で腹当ての色も決まってるんだけどね。私が気に入った布やいらなくなった布団カバー使ったり、中に入れる綿も布団綿。ご近所の人がね、使ってって持ってきてくれるんだよ。ナンチャッテで作ってるけどさ、楽しいよ」
安産や家庭円満のお守りとして知られる「さるぼぼ」。「ぼぼ」は飛騨の方言で「赤ちゃん」のことで、猿の赤ちゃんに似ていることから「さるぼぼ」と呼ばれるようになったそうです。昔は子どもの遊び道具として、抱っこするくらいの大きさだったとか。百合子さんは、みんなの苦難がサルようにと願ってさるぼぼを作り、紐につるす「つるし雛」にして楽しんでいます。
「腹当てもいろいろサイズがあるんだ。パーツを作って最後に組み合わせるんだけど、それが楽しいの。この子の腹当てはどれにしようかな、とかね。こうやって一針一針動かしていると落ち着くんだよ。針を動かしているのが、すごく気持ちいいの。一枚の布から形ができるんだもんね。毛糸だってさ、一本の糸でいろんなもの作れるんだから。それが楽しいの。だってあなた、私の小さい頃は、人形も人形に着せる服も自分で作って遊んでたんだよ。戦争で何もかも焼けちゃって、おもちゃもなければ、食べるものもなかったからね。わがままもいえないしさ。戦争は知らないうちに始まってた。庶民が気づいた時には戦争だったんだよ」
終戦の日に、広島の原爆忌にと、折にふれブログで平和への願いをつづる百合子さん。1944年に戦時中の名古屋で生まれ、厳しい戦後や高度成長期、バブル崩壊、コロナ禍で揺れた令和と、さまざまな時代の出来事を経験し、80年生きてきました。結婚を機に北志賀高原へ来て45年が経つといいます。百合子さん、ご主人との出会いも聞かせてもらっていいかなぁ?
王子様と山との出会いが、
今の百合子さんの原点に。
「夫とは志賀高原のスキー場で出会ったの。結婚する前、東京の保育園で働いていたんだけど、これが大変だったんだ。病院の看護師さん用の保育園だったから、産休明けてすぐ生後4か月で入所でしょ。赤ちゃんの人数も多くて、抱っこしすぎて腕が上がらなくなっちゃったんだよ。ちょうどその頃、頚腕(けいわん)障害(頚肩腕症候群)って職業病があちこちの会社で出ていてさ。私も休暇もらって治療してたの。その時に、仲間がちょっと遊んだほうがいいよってスキーに誘ってくれて。夫はスキーのインストラクターでね。ほら、ゲレンデでは王子様に見えるじゃん」
80、90年代も、百合子さんの青春時代と同じくスキーブームで、ゲレンデは出会いの場所でしたね。その後、ご主人は北志賀高原のスキー場でスキー学校を始め、百合子さんはシーズンに1、2回訪れていたそうです。
「でもね、王子様も山を下りればただの人だったよ(笑)。夫は価値観が合う人でね。だから結婚したんだけど、ぶつかることも何回もあった。結婚は、お互いいかに我慢して理解するかってことなんだよね。
私には、この山がよかったんだ。頚腕障害の時ストレスで精神的にもまいっていて、北志賀に来るとすごく楽だったんだ。信号も見なくていいし、人の背中見て歩くこともないからね。東京なんて、人の背中見ながら、人のペースで歩かなきゃいけないでしょ。気持ちを閉ざして生活していたけど、この辺りは牧歌的で、緊張がほどけていく感じでさ。ここでなら、これからの人生やっていけるなって思ったんだよ。自然は人間を変えるってホントだよね」
百合子さんが52歳の時、ご主人が事故で他界。2003年に機織りや陶芸など、手仕事発信の場「夜間瀬あけび工房」を開設しました。夜間瀬あけび工房は、百合子さんの娘さんである馨代さんの創作の場であり、地域の人や北志賀高原を訪れる人の交流の場。暖かい囲炉裏端で百合子さんの話を聞いていると、時の経つのを忘れてしまいます。初めて来たのに、なぜか懐かしい。それが、夜間瀬あけび工房と百合子さん。
途切れつつある暮らしの知恵や風習を、
楽しみながら次の世代へ。
「ここではね、季節ごとにやることがあるの。先月やったのは案山子(かかし)揚げ。田んぼに立ってる案山子って山の神様なんだよ。雪が解けると山から神様が案山子になって下りてきて、田畑を守ってくれる。収穫が終わると、自分の役目は終わったって山へ帰っていくんだ。それで、収穫祭とあわせて案山子に感謝する案山子揚げっていう風習が残ってるの。昔はさ、時季ごとの行事や風習があったけど、今はほとんどやらなくなったでしょ。しなくても済んでいくしね。でも、それでいいのかなって。じいちゃん、ばあちゃんに教えてもらいながら、地域のみんなで楽しくやってるんだよ。あ~、おしゃべりしてたら、さるぼぼの顔がへちゃむくれになっちゃった!」
途切れつつある、代々伝えられてきた山で暮らす知恵や風習を、次の世代へつないでいきたいと考えている百合子さん。ご近所同士がつながり、自然に感謝し、季節の移ろいを感じながら丁寧に暮らす。私たちが忘れかけていた大切なものが、ここにはあるようです。
いろいろおしゃべりしながら、元気いっぱいのさるぼぼも完成!
百合子さん、また来た時もいろいろな話を聞かせてくださいね。
さるぼぼの作り方
材料:布(最初は縫いやすい薄めの生地がおすすめ)、詰め物用の綿、刺繡糸
1
胴体用の布は、9㎝×8㎝の長方形に。頭は直径5㎝程度で丸く切る。
腹当て用は8㎝×4㎝。
好きな色、柄を選んで組み合わせを楽しむ。
2
胴体用の布を中表にし、四隅をつまんで縫い合わせる。綿を詰めるので真ん中を少しあけておく。綺麗に縫えてなくても、まぁいいやくらいが、百合子さん流。
3
真ん中の穴からひっくり返す。
百合子さん曰く、縫ったものをひっくり返すのは非常に難しい!
だから、先の尖っていない手芸用のピンセットを使うのがおすすめ。
4
お腹の穴から綿を詰める。手足の先までしっかり詰める。
詰め終わったらお腹の穴を縫ってふさぐ。
5
頭用の丸い布の回りをぐるっと縫って、綿を入れて糸を引っ張って丸い形に。
6
頭を胴体に縫い付ける。
7
腹当ての布は中表に折って縫い、ひっくり返す。
9
元気いっぱいのさるぼぼ完成!
10
自由に飾りつけて楽しもう。百合子さんはこんなふうに飾って楽しんでましたよ。
松本 百合子さん
名古屋生まれ。短大卒業後、保育士として名古屋、東京で働く。結婚を機に北志賀高原の夜間瀬へ。二人の娘を育て、現在は夜間瀬あけび工房の管理人として、山で暮らす知恵や伝統を楽しみ、つなぐ場を地域の人とともにつくっている。私はすべてが「なんちゃって」で「いいかげんなんです」が口ぐせ。
百合子さんのブログ
夜間瀬あけび工房
障がいのある人もない人も、若者もお年寄りも、みんなでこれからの楽しさを創造しよう!と、2003年百合子さんを中心に機織りや陶芸を創作している人たちが開設。築100年を超える古民家でさまざまな手仕事が体験できる。工房展やそば打ち講習などのイベントも開催。