託老所あんき 前編 中矢 暁美(あけみ)さん  

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託老所 あんき 前代表 中矢 暁美(あけみ)さん

看護師、松山市社協のヘルパー、障がい者施設、特養勤務を経て、1997年に愛媛県初の託老所となる「あんき」を開設。民間で設立したデイサービスの草分け的な存在となる。年老いても住み慣れた地域で、自分らしく生き最期を迎えられるようにと、福祉・介護の在り方を国や県へ提言したり、講演会のために全国を飛び回るように。

現在は息子の悟朗さんにあんきの代表を譲り、“おなかがまんぷく こころもまんぷく”をコンセプトに、自宅で地域のお年寄りのための集い場、垣生(はぶ)地区のコミュニティレストランに取り組んでいる。不定期開催、1日17名まで
「縁側プロジェクト おばさん料理おいでんか」 お問い合わせは中矢暁美さんまで ☎︎090-2783-0812

託老所あんき
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我が家のような場所で、
笑顔で過ごせる幸せがある。

今回ケアネーネが訪ねたのは、愛媛県で初めて誕生した託老所「あんき」。総ヒノキ造りの一軒家は風通しも良く、どこか懐かしさを感じます。あんきを設立したのが中矢暁美さん。


ここの設計は私がしたんですよ。ナイチンゲールの看護覚え書の通りなんです。自然の中で新鮮な空気が入って、おいしいもの食べて、笑っていれば元気になるって書いてあるの。気持ちいいでしょ

現在、あんきでは24名が登録し、この日の利用者は12名。お昼ご飯をつくっているのは、管理者の石丸愛さん。おじいさんが通所していた縁で働き始めたそうです。

「ここは居心地がよくて、じいちゃんもばあちゃんも、職員さんもみんなのびのびしています。施設にいるというよりは、実家に遊びに来てる感覚かな。毎日宴会みたいな(笑)。利用者さんも自由に発言できるし、職員も気を遣わず、“○○さま”なんていわないし」

皆さんしっかり自分の足で元気に通ってきます


確かに、昔からの仲間が集まったように和気あいあい。宴会の雰囲気、わかります!なんだか、通っているだけで元気になりそうです。

事実、みんなからなぜか“たえちゃん”と呼ばれているヨシコさんは、要介護4の状態から、介助はしないというあんきの自立支援で、今ではスタスタ歩けるまでに!ご夫婦で通われているタメさんとナルミさん。一時期、タメさんの暴言・暴力がひどく、そのたびに暁美さんと悟朗さん(暁美さんの息子で現あんき代表)が駆けつけ、興奮したら姿を隠すという対処法を繰り返すうちに症状が治まってきたそうです。今では、「ナルミちゃんがいるから僕は幸せ」と話すほどラブラブなお二人!

あんきの朝は「おつとめ」からスタート。元気な般若心経が部屋に響きます。声を出すのは嚥下にもいいのだとか。体操して童謡を歌い、愛さん特製野菜たっぷりのおいしいランチ。食器の片づけは利用者さんも一緒に、テキパキと洗ったお皿を拭いていきます。皆さんにお話を聞いてみると…「我が家のような気がする」「優しいから気が合う」「朝一番から笑い始めて、笑いで終わる」と、ここがデイサービスだということを忘れてしまいそうです。

デイで楽しんで帰ってきて、家でご飯食べて、その夜眠ったら死んどった。私のとこは、そんな人が多いんですよ。人生まっとうして、本人も家族も少々のつらいこともあるが、笑って死ねるって幸せじゃないですか。幸せな死だったら、家族も看きったと思うしね」

看護師さんがしっかり体調を管理
木魚のリズムにあわせて、大きな声でお経を読みます
オリジナルの棒を使った体操。ケアネーネ編集者も一緒にやってみたけど結構きつい
要介護4だったのが嘘のような、たえちゃん。「どう私の足、よく上ががるでしょ」と自慢げに
介護士さんのギターにあわせて懐かしの歌を気持ちよさそうに唄います

疑問が怒りとなり、さらに怒りが改革へと動かす。

暁美さんはもともと看護師で、あんきを立ち上げるきっかけとなったのが、障がい者授産施設と特養で見てきた、介護保険前の介護現場の実情でした。

子育ても一段落した30代半ば、国が本格的にホームヘルプ事業に取り組み始めた頃、松山市社会福祉協議会のヘルパーになった暁美さん。その後、知的障がい者の授産施設で看護師として働き始めました。

「福祉の目線が当事者ではなかったのです。いろいろあらためんといかん!と思いました」

まず、暁美さんが納得いかなかったのが、園生たちに職員を“先生”と呼ばせていること。「社会経験もない、大学を卒業したばかりの子も“先生”。家庭では何でも親にしてもらっといて、何様じゃと思って仕事しよん?」。さらに、食事の仕方にも疑問が。「おかずの肉じゃがの汁を飲んで、皿まで舐める園生。それを見て注意する人は誰もいない。それで理事長に、“ここ、おかしくないかい?」。食事のマナーさえ指導できないのに、先生と呼ばれる資格はあるが。働き始めてたった2週間で、理事長に提案した暁美さん。「縁あってかかわったんだから、自分の子どもだったらどうやろう、きょうだいだったらどうやろうと何で考えられんの?園生にもその親にも失礼なことでしょ!」。

暁美さんの怒りは改革へと変わり…「女子棟の夜勤をし始めたんです。そしたらね、工賃(給料)が月2000円の子がいたんです。石けんやシャンプー、ナプキンとか必要な日用品買ったら残金が少々。それはあまりにもひどいんじゃないか、最低でも人並みの生活ができるよう訓練をさせてください、と理事長にお願いして改善してもらいました」。園生たちが、少しでも人として生活していくために動き続ける暁美さん。次は、自分たちで夜食が作れるよう、廊下にミニキッチンを設置。安くてお腹も満足できるフレンチトーストとそうめんの作り方を教え、少ない工賃の中でうまくやりくりすることを学びました。

暁美さんが認知症について知ろうと思ったのも、この施設にいたろうあの女性との出会いだったそう。「アユミちゃんはブランド物のタオルを縫っていてスゴイ技術を持っててね。“アユミはすごいね、私は電動ミシンなんか無理やわ”って話したら、教えてやるというんですよ。嬉しそうに、鼻高々でね。どうしたらアユミが喜んでくれるかがわかりだしたんです」。コミュニケーションが難しい中で、いかに関係性を築いていくか。それを彼女から学び、これが認知症の人だったらどうかかわっていけばよいかを考えるようになったのです。

暁美さんの大きな畑
採れた野菜をふんだんに使って作る昼ごはん
ご飯の支度もみんなで

人としての尊厳を守るために、改革は続く。

その後、特養で看護師として働くことになった暁美さん。ヘルパー時代の知り合いだった施設長から、認知症の人の対応に苦慮している、改革してほしいと頼まれたそうです。

「『改革』という言葉を聞いて、給料はどうでもええけん行こうと思って!」。それまで認知症について勉強をしていたものの、いくら本を読んでも実践しなければ本当の姿は見えてこないと考えていた暁美さん。そこで、特養で一番徘徊していた“アヤばあ”を、仕事中いつも連れて歩くことにしました。

「1日に4、5回施設の外に出ようたんです。どうやって引き留めようか考えて、セッシ(ピンセット)のギザギザのところをきれいに磨いてもらうことにしたんですよ。用事をお願いし始めてから、徘徊しなくなりました」。いつも暁美さんのそばにいたアヤばあは、そのうち薬のシートを切って1錠、2錠と分ける作業もできるように。70人分の入居者・利用者に渡す薬の準備もスムーズになったそうです。

「認知症でもちゃんと理解できるように伝えれば、やれることがあるんですよ。昔の生活歴が甦るんやね。アヤばあから認知症の人の世界を学びました」

そして、当初の目的だった改革も断行!お風呂が週に2回というのにすごい疑問を持ったんです。あの頃は布おむつで、おしっこで重たくなってね。自分らは毎日お風呂入るのに、どうしてお年寄りをこんな目にあわすの?それやったら、この施設の職員はみんな週2回にしましょう。そうしたらどんな気持ちかわかるでしょ、っていうたの。ほんと、これが普通と全国みんなおもっていましたよね」。暁美さんが提案したのは手間のかからないシャワー浴。5月から10月まではシャワーと足浴で、風呂場も改装し入浴は週7回にしたそうです。尊厳ある食事、徘徊防止のために締め切った戸を開放し、布団は毎日干すように。「私たちが暮らしている普通のことをやるだけなんよ。どこでも組織図は同じだと思うけど、一番上に理事長がおって、それから施設長、事務長、相談員、看護師、介護士、これ本当はね、ピラミッド型じゃなく逆三角形じゃないとダメ。お年寄りが一番上におって、理事長は一番下で支えればいいんですよ」

美味しいランチの後は職員と一緒にみんなで片付け。これもあんきでは当たり前のこと
皆さん慣れた手つきでこなします。そう、できることをやればいいのだ

自分の親が安心して暮らせる施設をつくりたい。

「50歳になった時、あらためて勤めている特養に目を向けてみると、ここに自分の親は入れたくないと思ったんです。あれだけ一生懸命育ててくれた親を、この施設に入れるのかな?…。それで、自分で託老所つくることにしたんです

大切な両親への想いと、自分自身も住み慣れたこの地で普通に暮らし死んでいきたいという願い。そして、認知症への理解を深めるためには、地域の中で認知症の人とかかわる場が必要だと考えた暁美さん。一軒の民家を借り、託老所をスタートさせました。

託老所としての役割はもちろん、介護を学ぶセミナーやフリーマーケットなどを開催し、地域の人や介護職の人たちが集う場になっていったあんき。ただ、本来の通所の利用者はなかなか増えませんでした。

「お昼ご飯とおやつも出して、8時間看て2500円。すごいでしょ。市の高齢福祉課で“利用したい人おったら教えてな”って話したら、“みんな500円持って特養のデイサービス行きよる。2500円じゃ来る人はおらん”と」。介護保険制度もまだない時代、民間の事業者には補助金が下りず、利用料金が高くなるのはやむを得ないのでした。地域にデイサービスを利用したい高齢者はいるものの、安く利用できる施設へと流れ、経営状況は厳しさを増すばかり…。

どうにも立ち行かなくなった3年目、三好春樹さん(介護業界のカリスマ。詳しくは「つどい場さくらちゃん・かいご楽会レポートへ)の支援もあり、愛媛県で初めて認知症を専門とした小規模多機能型居宅介護施設として再スタートを切ることになりました。「介護保険ができる前も、特養や老健から認知症の人が回されてきよったんですよ。徘徊して3階から飛び降りるような、大変な人ばっかり」。重度の認知症の人を受け入れるようになったあんき。だからこそ、さまざまな症状を看ることができ、貴重な経験が積めるのだと暁美さんはいいます。「認知症は実践が勉強。職員にも、私たちはお金もらって勉強させてもらっとるんよ、これだけの症例看てきたらコワいもんなくなるよっていうてたんです」。

あんきには、笑いと笑顔、穏やかな時間が流れます

縁をつないで、お互いさまの関係を築く。

いろいろな人と出会い、貴重な縁を結んできた暁美さん。この日は、40年来の仲だという門屋征洋(かどやまさよ)さんが訪ねていらっしゃいました。門屋さんは松山赤十字病院の元看護師で、暁美さんが松山市社協のヘルパーになる時に受けた養成講座の指導員だったのだそう。暁美さんの特養時代には門屋さんを講師に招いて勉強会を開いたり、暁美さんが赤十字病院の看護師専門学校で介護現場について指導したりと、互いに支え合い松山市の介護の礎を築いてきました。

40年来の仲だという、松山赤十字病院元看護師の門屋征洋(かどやまさよ)さん

「門屋先生はいろいろと教えてくれるし、私も門屋先生が知りたいことを教えてあげられる。ひとり勝ちはキライなんです」。幼い頃、いただき物は家族で分け、余ったらご近所にも分けるという家庭で育ってきた暁美さん。自分ひとりだけが得をするのではなく、知恵を分け合って互いの成長の糧とする。誰がすごい、偉いということではなく、フラットなお互いさまの関係です。「あげれるもんはあげるし、取るところは取る。私の友だちはみんなそう。三好さんもそうなんよ」。

三好春樹さんとは、託老所を始めようと考えていた時からの縁。最初は“すごい先生”だから、親しくなるのは無理だと思っていた暁美さん。「なんとなく本を売るのを手伝ったりしてたら、どんどん親しくなって。“わしらが何十年しゃべっても、中矢さんみたいに現場やってきて、もがきながら自分で考えてやってる人にはかなわんな”、っていいだして」。なんと、インド旅行にもご一緒したそうです。


介護を取り巻く環境や現場を、少しでも良くしていこうと縁をつないできた暁美さん。誰だって平等に歳をとっていく、歳を取れば体が不自由になることも、ボケることもある。だから、お互いさま。そんな暁美さんの想いが、あんきの居心地の良さにつながっているのかもしれません。

もっと自信をもっておかしなことに声をあげていこう、そんな勇気をいただきました。暁美さん、ありがとうございました。


次回、現在あんきの代表を務める中矢悟朗さんをご紹介します。さすが暁美さんの息子さん!と思ってしまう、熱く破天荒な話をお楽しみに。

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