託老所「あんき」後編 代表 中矢 悟朗(ごろう)さん

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託老所「あんき」 代表 中矢 悟朗(ごろう)さん

託老所「あんき」代表。24年間のメーカー勤務を経て、あんきへ。3年であんきを退職し駄菓子屋を経営するも1年で廃業。あんきへ社長として戻り、ほかの施設では考えられないぶっ飛んだ介護で利用者やその家族を支えている。地域愛もぶっ飛んでいて、コロナ禍の子どもたちのために花火大会を企画し打ち上げたほど。破天荒な生き方を貫いている。

託老所あんき
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前編では

愛媛県初の託老所「あんき」を設立した中矢暁美さん。障がい者施設や特養で目の当たりにした悲惨な現状、その怒りから生まれた施設の改革、認知症の人も幸せに暮らせる地域にしたいという想いなどをうかがいました。

後編でご紹介するのは、暁美さんの息子さんで現在あんきの代表を務める中矢悟朗さん。その破天荒ぶりは、ハンパじゃありませんでした!

仕事はお金じゃない。
人生をかけるからこそやりがいがある

まるでみんなが家族のような雰囲気
通所の方が続々と自分の足で通ってくるなか、
あんきの管理者・石丸愛さんが、畑で暁美さんが育てた野菜を使ってランチをつくります。

「僕はガキの頃から個性が強かってな。学校も行く気なかったし、勉強もせんかったツケが回ってきて、字もろくに書けんのです」ご本人いわく“ぶっ飛んだ”やり方で道を切り拓いてきました。20歳の時に松山市にあるメーカーの新工場に就職。

「モノづくりは基本好きなんです。モノつくるって、こだわればこだわるだけのモノができるじゃないですか」。しかし、周りの社員たちは、考えることもなくいわれた作業をただこなしていただけでした。「大企業やから辞めん限り生活は安泰、ちょろい仕事ですよ。でも、僕はお金のために働くんじゃなく、人生をどう生きるかという価値観で突き進んできたけん、そういうのができん性格なんです」。

底がないくらい掘り下げてこそやりがいがあるという悟朗さん。その姿勢を見込まれ20代後半という若さで現場リーダーに抜擢されたのです。年功序列が当たり前だった時代、一番下っぱだったのに、“40数人を率いることができるのはお前しかおらん”といわれたそう。そして、ほかの社員に自分を認めさせるために、技術や知識を磨き続けました。「定年前のおっさんらに、“お前みたいな若造に、製品の何がわかるんぞ!”といわれて、“いやいや、ふざけんなよ。じゃあ、俺に勝てや。負けたら今日辞めるわ”って、本気でいってた。僕の仕事ってずっとそう。ずっと何かと戦っているんですよ」。

あんきの常識は、世間の非常識⁉

悟朗さんがめざすあんきは、普通の介護施設では考えられないことばかり!「そろそろコケるとわかってる人には、どの事業所も介助する。よそから見たら、虐待みたいなことかもしれないけど、ウチはコケるギリギリまで歩かせるんです」。

人間は、病気が原因で突然歩けなくなる場合は別として、老化すると徐々に歩くことが不自由になる。しかし、その過程で歩き方も変化していくので、はたから見て転びそうだったとしても転ばないはずだと悟朗さんはいいます。「その人が必死に、自分の歩き方で歩こうとしよる、それを介助するのは、その歩き方をくつがえすことになるんです。基本姿勢を重視するんじゃなくて、その人の歩き方で見極めるんです」。

要介護4だったとは思えない程、元気なたえちゃん。
足で歩けるどころか、誰よりも高く足が上がります

この悟朗さんの考え方で、要介護4から歩けるようになったのが、前回もご紹介したヨシコさん、通称たえちゃん。当時75歳だったたえちゃん。悟朗さんは職員にも「こけたらこけたで構わん」と厳しくいい、そして大きなリスクを背負いながら見守ったそう。「まだ若いのに、歩かさんことには絶対歩けるようにならん。けど、もしかすると骨折して寝たきりになるのが早まるかもしれん。でも普通に生活できる可能性も残されている。互いにリスクを取ってチャレンジしようと家族さんに話したんです」。

今ではスタスタ歩けるようになったたえちゃん。悟朗さんも、まさかあそこまで回復するとは思っていなかったそうです。「もちろん1回もこけたことないんよ。いまだに!」

ただ、いくら介助しないといっても、ケガありきでは絶対にダメだと悟朗さんは考えています。「観察力の高い職員つくらんかったら、事故しか起こらん。現状を見てどこまでやらせるか、レベルの高い観察と判断ができる職員じゃないと、ここでは働けないんですよ」。

介護というサービスを提供する産業としての施設と「託老」とでは、目的がまったく違うのだと悟朗さんはいいます。「介護という業界の視点では、ケガをさせない、失礼がないことが正解やと思うし、否定はしません。絶対に必要なので。でも託老は視点が違う。本人の人生と在宅を支えるためにあって、本人がやれることはどんだけ時間がかかろうが、職員が手間だろうがやらせる。その人がやりたいことを、本人主導でやらせる。それが、託老のやり方なんです」。託老所を立ち上げた頃の暁美さんを見ていて、そう感じたといいます。

家族の肩の荷を軽くする、
悟朗さん流の寄り添い方。

利用者のご家族にも、いつも熱く寄り添う悟朗さん。駄菓子屋時代にも、グループホームで看取りがある時は必ずご家族に付き添っていました。「死ぬる時の段階が何通りかあってね。それを細かく説明すると、家族さんが怖くなくなるんですよ。説明通りになると家族さんの中で正解と思ってしまうのか、言われてた通りになりました~!って安心しているんです。最期に近づきよんやけどな~」。

確かに、間近で見たことがないから、私たちは死を恐れてしまうのかもしれません。これまでの看取りの経験から、呼吸の状態がどう変化するかを話し、家族が最期を迎える心の準備ができるようにしている悟朗さん。「看取りをする事業所である以上、家族がそこに対して安心することが一番大事だと思ってます」。

要介護4だったたえちゃんのご家族とは、“きずなノート”という交換ノートをやり取りしているのだそう。「すっごく細かく書くんよね。字も書けないのに頑張ってたのよ」と愛さん。「僕はバカやけんね。トイレに行ったらこう持たせて、こうやって動かすんよ、ってしゃべり言葉でそのまま書くんです。家族さんも読んだだけで目に浮かぶっていってくれました」。

実は、しゃべり言葉で書いているのも作戦なのだとか。マニュアルとして書いて渡すと、介護を背負ってプレッシャーになってしまう。気楽にできる表現で伝え実際にやってもらうと、大変だと思っていたことも楽にできるようになるそうです。これは、悟朗さんが横についてしゃべってくれているようで心強いかも!「お世話は張り詰めた気持ちでやるもんじゃない、片手間にやるもんよって思ってほしい。家族にしんどいと思われたら終わりやけんね」。

昼ごはんの後は、みんなで一緒片付け仕事をしたら、次は、遊びの時間。
仕事も遊びも真剣にやるのが「あんき流」

「僕らはひたすら戦い続けて、
ここを守るだけですよ」

「僕は“認知症”という言葉が大っキライやけん、ここでも使わないですよ。
そもそも、認知症と思ってないもんね」。

ほかの施設で手に負えなくなった人を受け入れているあんき。でも、悟朗さんや職員にしてみれば、“普通”なのだとか。ほかの利用者にあわせた常識でしか見ていないから大変だと思ってしまう。認知症の人が便失禁して触ってしまうのも、異常行動でもなんでもないと悟朗さんはいいます。「悪いことしたと思ってるから隠そうとするし、いじくってしまう。目の前からなくしたいから、恥じらいがあるからその行為をするんですよ。もう一歩踏み込んで心情を考えると怒れないでしょ。便失禁するのはわざとじゃないし。本人に、ごめんねってあやまらせたらいかんのです」。

そして、「認知症」と聞くだけで、むやみに怖がられたり、避けられたりする差別や偏見にも怒りをあらわに。「あんきの車が迎えに来だしたら、あの人認知症になったよ、って近所の人が付き合いやめるんですよ。“認知症”という言葉のレッテル貼られただけで、コミュニティから切り離される!認知症という言葉の偏見さえなくなれば、在宅で幸せに暮らせる人がもっと増えるはずなのに」。
そして、家族の考え方が時代とともに変化していることも、在宅での介護が減ってきている一因ではないかという悟朗さん。「できることが減っていても、死ぬわけじゃないし。自分がその生活に満足して生きているのに、事業所や家族が自分目線の常識に当てはめて、“在宅はムリよ”っていう必要ないでしょ」。

今のあんきは、昔、暁美さんが託老を始めた頃のあんきのように、利用者さんものびのびと過ごし自由でオープン。“あんた、本当にええ施設つくったなぁ。これこそ日本一の施設や”と門屋征洋さん(暁美さんの親友・前編に登場)も言ってくれるそうです。

「ゆっくり生きりゃあいいんです。命の期限は決められとるけん、それなら笑って、一歩でも多く長く歩けたほうが幸せでしょ」

「本人がギブアップするまで、いらんことしちゃいかんのです。やれることをやらせてあげられんかったら、苦痛な時間を生むだけ。その時間をいかに短くするかが、託老の目線です」。
「今さらですが実は『たくろう』って、僕は何も分からないんですよ。中矢がしていた事や感じた事を勝手に『たくろう』って思っているだけで…。今のあんきは中矢の足元どころか、つま先すら見えてないレベルですよ。だからもっともっと、もがかんといかんのです。

「僕らはひたすら戦い続けて、ここを守るだけですよ」

あんきのグループホーム
デイサービス あんき十人十色(いろどり)

最期まで自分らしく生きることを肯定し、支えてくれるあんきの存在は、ますます貴重なものとなっていくでしょう。しかし、小さな事業所ほど介護報酬が不利になり、利用者の獲得も難しく、いまだ苦境に立たされているそうです。
2024年上半期の介護事業者の倒産件数は過去最多。なかでも、あんきのような小規模事業所の倒産が増加傾向にあります。私たちにとって、人生の最終期に本当に必要なのはどういう場所か。今一度考えてみる必要があるのかもしれません。

あんきからは、今日も大きな笑い声があふれていることでしょう。
悟朗さん、職員の皆さん。地域のお年寄りのために、踏ん張り続けてくださいね!

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