Happy Endingカードの内容をテーマに、女性たちが人生や終活について語り合うHappy Ending Talk。 最期を迎えるその日までどう生きていくのか、よりよい死を迎えるために今何をするべきなのか、皆さんも一緒に考えてみませんか。
Happy Endingカードとは
年齢を重ねれば重ねるほど、お金や健康、介護などの不安が増えるもの。また、老後の不安だけを漠然と抱えているという人も多いのではないでしょうか?
Happy Endingカードは、そうした不安や問題を見える化し、自分にとって悔いのない最期とは何か、そのために今何をすべきかを考えるカードゲームです。49枚のカードを自分の意志に従って「YES」「NO」に分けていくと、不安の中身やこれから待ち受けるリスクが浮き彫りに。自分自身のリスクがわかれば、何を準備すればいいかも見えてきます。家族でプレイしながらセカンドライフへの想いを伝えたり、終末期、相続といった親やパートナーに聞きにくいことを、ゲームを通じて確認することもできます。終活を何から始めればいいか悩んでいる人にもおすすめです。
自分らしい最期って何?をおしゃべりしながら考える。
Happy Endingカードは、「今を生きる」「最期を考える」の二つの大きいテーマをもとに構成されています。「今を生きる」は、前向きに生きるために必要なことやセカンドライフプランニングなど、今をよりよく生きることを考えるカード。
「最期を考える」は、介護や終末期、相続、お墓など、よりよい死を迎えるために何を準備するか考えるカード。Happy Ending Talkでは、毎回これらのカードを1~2枚取り上げ、自分らしい生き方、死に方を探す女性たちがその内容について話し合います。
第1回目のテーマは、「今を生きる」の1番目のカード、「死の受容」。死をどのように受け止めているのか、どんなハッピーエンディングを迎えていきたいのか。それでは座談会スタートです。
参加したのは
Nさん 60代
病院看護師、訪問看護師、地域包括支援センター員と、看護・介護に携わり続けウン十年のベテラン。定年後も特別養護老人ホームで看護師として活躍中。
Oさん 60代
モデル兼ドライヘッドスパニストとして、疲れた人の頭をほぐし心を癒す。抗がん剤等の副作用で脱毛に悩む人へ、タオルキャップを作り贈る活動にも積極的に取り組んでいる。
ケアネーネ編集者Iさん 50代
グラフィックデザイナーとして、ワクワク楽しい問題解決を目指しています。読書と美味しいお酒を呑むことが大好き。仕事柄運動不足なので休日はアウトドアを満喫している。
ケアネーネ編集者Kさん 50代
フォトグラファーとして、撮影も担当。80代後半で喫茶店の現役ママさんという驚くべき母を持つ。負けずに生涯健康でいるために取材などで得た知識を活かそうと企んでいる。
ケアネーネライターSさん 50代
ケアネーネのライター。終活の第一歩として断捨離を決意するも、結局モノが捨てられず挫折を繰り返している。運動不足解消、ボケ防止に絶賛けん玉中。
「死」について話すのは、後悔したくないから。
今回のテーマは「死の受容」です。カードには「死について話すことは、縁起が悪いことなんかじゃない」と書かれていますが、皆さんどう思いますか?
実は3週間前に母を亡くして、死についてもっと話しておけばよかったと後悔しているんです。私は高校生から実家を出たので、母がしっかりしていて話ができたのは学生時代だけ。ハッと気づいて話をしようと思ったときは、もう認知症になっていて…。
取り戻せないし、後悔ですよね。
今って、どうやって死を迎えたいか聞くのも当たり前の時代じゃないですか。話す時間はあったはずなのに…。
私は3年前に母をがんで亡くしたんです。突然悪くなって、トイレに行けなくなったら、あっという間に立ち上がることもできなくなって。2週間入院したんですが、家で看取りたくて在宅看護にして、結局1か月で逝ってしまいました。
急に亡くなって、後悔したことは?
ずっと一緒に暮らしていたから、後悔はなかったかな。まだ元気だった頃、家の中を整理していて。母は洋裁を教えていたんですが、その時勉強していたノートが出てきたんですよ。方眼ノートに鉛筆でびっしり書き込まれていて。「お母さんすごかったんだね」って言ったら「当たり前だがね!」って自慢そうに話してくれて。亡くなった後に出てきていたら、そんな話もできなかったですよね。
やっぱり生きているうちにいろいろ整理することは必要ですね。
死の準備じゃないけど、常に準備していると気づきもあるし。
自分のためというより、周りのことを考えると整理したり伝えたりすることは大事だと思う。
私の妹はがんで43歳で亡くなったんですよ。その年の夏にパートを始めて、元気に働いているけど、しんどくて食べられないって言ってたんです。でももともとヤセの大食いで、小さい時からガリガリだったから、痩せていてもみんな心配していなくて。検査をした時には、すでに余命3か月でした。治療で1年間生きることができたんですけど、その間は病院での治療と自宅療養の繰り返し。妹には中学2年生と小学5年生の子どもがいて、家にいるときは自分はいずれいなくなるからと、子どもたちに掃除や洗濯を教えていました。自分がいなくなった後のことまで考えられるのはすごいと思って。いろいろ葛藤もあっただろうし…。私も妹のいる茨城県まで何回も行きました。多少知識はあるので、まだ若いけど介護サービス使えないかいろいろ探して介護ベッド入れたり。自分にできることがまだあったと思うけど、思うようにはいかなかったですね。
家系図を辿れば、家族のきずなも深くなる。
母が亡くなって、遺産相続の件で戸籍を集めたんです。見ていたらいろんな人がいて。そういえば、夏になると郡上八幡に帰ってきて踊る人がいるっておばあちゃん言ってたけど、この人かな、なんて家族で盛り上がりました。母からいろいろ話を聞いておいてよかったです。
私、家系図作りたいんですよ。母が亡くなった時、うちは神道なんですが宮司さんに母の生い立ちを聞かれて。私は名古屋で生まれて島根に行ったと思っていたのに、弟は生まれたのは島根だって言うんです。きょうだいでも認識が違うし、家系図を調べればわかるかと思って。もう少しお母さんと話をしておけばよかった。
家系図は誰でも作れるみたいですよ。市役所で家系図作りたいって伝えて、戸籍謄本をとって辿れば。
そうなんですか!
家系図を辿るって、自分のルーツを知るってことですもんね。
おばあちゃんがこういう人だったから、自分がこうなのも仕方ないよね~とか。語り継いでいくことも大事ですね。
家族だっていう意識も深まるし、仲も深まるんじゃないかな。
一家に一家系図だね。
医療従事者との信頼関係が、いい最期につながる。
母はずっと特養に入所していて、1年前にコロナになってからだんだんと食べられなくなったんです。施設には延命処置はせず、病院ではなくここで看取ると伝えました。最後の1週間、点滴で命をつないでいたんですけど、普通は施設ではそこまで点滴してくれないんですよ。やっぱり3日以上になると病院へ行ってくださいと言われるんです。それでもやってくれていて、亡くなる前日に看護師さんから「点滴どうしますか?」って聞かれたんですよ。私、えーって戸惑ってしまって。点滴すると、またちょこっとよくなるかもしれないし。でもその判断をするということは、命の判断をするということで。私が“やってください”“やめます”とかいう権利あるのかなって。返事に詰まっていたら、看護師さんがこちらで判断しますって言ってくれたんです。もし自分で判断したら、後悔していたかもしれない…。
看護師さんを信頼していたからこそ、お任せしますって言えたんですよね。相手に対してちょっとでも不信感があったら、そうは言えなかったかもしれないし。信頼できる人がいるかどうか、病院や施設の選び方って大事ですね。
本当にそうですよ。私は母を家で看取ったんですけど、訪問看護師さんにすごく良くしていただいて。チーフの看護師さんが、もう最後なんだから、お母さんの好きなもの食べさせてあげたら?って言ってくれたんです。母はお酒が好きだったから、「お母さん、吞む?」って聞いたら呑みたそうな顔してね。お吸い物も受け付けなかったのに、お酒は呑むの!そこから毎日晩酌じゃないけど、呑ませてあげて。もし病院だったらありえないし、本当にうれしかった。呑んでそのまま逝ってもいいじゃんって思っていました。
お母さんが、「あー!おいしい!」って思いながらね。
よく生きて、よく死んでほしいと思うしね。
経験のある頼れる人がいて助かったし、紹介してくれたケアマネさんにも感謝です。
NさんもOさんも、いい人に巡り合ったよね。
死ぬのは当たり前。だから、自然に死んでいきたい。
自分の最期はどう考えてます?
文書にはしていないけど、常々延命はしない、胃ろうもしないって家族には伝えています。食べられなくなっても、そのまま死なせてくれたらいいって。でも、娘とテレビで植物状態になった人の話を見ていた時、「あなたがこうなっても、延命しないからね」って言ったら、娘は「え~!医学が進んで助かるかもしれないから、あきらめないで!」って。家族と私とでも同じ考えじゃないんですよね。
価値観も生き様も、人それぞれだもんね。
年齢とか、子育て中とかで違ってくるかも。
私の父は脳出血が原因で半身マヒなんですけど、車イスから移動するときに転んで骨折したんです。入院したとたんに食べられなくなって、家族は死も覚悟していたんです。胃ろうで飲んだり食べたりできなくなるのもかわいそうだし。でも、父が自分の意志で家に帰れるなら胃ろうでいいって言って。
男女で考え方が違うかも。自分の父もがんで抗がん剤治療を受けていたけど、副作用 で酷く衰弱してこのまま続けたら死を早めると思い、治療を止めようとしたら、弟は治療を続けるというんですよ。それで大ゲンカして。ただ苦しんで生かされて幸せなのか!って言うと、1日でも長く生きれば幸せだって。
今勤めている特養は療養型なんですよ。気管切開されて意識があるかどうかわからないような状態の人もいて。経管栄養で胃ろうつくって管を鼻から入れていると、動かずにいるもんだから、だんだん体が丸くなっていくんです。ただ生かされている感じしかしなくて。そういう状態で寝ているのを見ると、これで幸せなのかな、って思ってしまいますね。
施設に入ったとたんに状態が悪くなる人もいますよね。
私も家族のエゴで生かされたくないし、それは伝えてありますね。
最近気になっているのが、たしか…“なんて素敵な孤独死”っていう本(正しくは「うらやましい孤独死」でした)なんです。
みんな最後は孤独死なんじゃないのかな。家族がいても、死ぬときは結局ひとりだもんね。
私の叔母は独身で一人暮らしをしていて、急性心不全でお風呂上りに倒れて亡くなったんです。その前まで元気だったから、孤独死するってピンピンコロリって人が多いと思う。
大家族で暮らしていた頃は、必ず上の世代の死に際を見ていたけど、今はそれがないから、いざという時どうすればいいかわからない。昔は、人は死んでいくものだと学習できたし、やっぱり死ぬことは自然なことなんですよね。
地方だと近所づきあいもあって、お葬式も近所の人がお世話してくれてね。都会だと死んだ瞬間に葬儀屋さんが来て、すぐお金の話になるし、忙しいしで大変だったなぁ。
家族や自分自身のために、死を思いながら生きる。
「死について話すのは、縁起が悪いことじゃない」という1枚のカードから、家族の看取りや、自分自身の最期のことなど話はつきませんでした。やはり、死ぬときはどうしたいか聞いておくこと、ちゃんと家族に伝えておくことが、後悔しない、させないために必要で、Nさんの「時間はあったはずなのに、亡くなる前に聞けなかった」という言葉に、“いつか話せばいい”では遅いのだと実感しました。
「死」については、誰もが遠ざけてしまいがち。でも、死が近づいてきたらどうするか想像すると、やりたいこと、やらなければいけないことが見えてきます。たとえば、住み慣れた家で最期を迎えたいと希望しても、在宅で看取りを行っている医療機関は6%ほど(2017年厚生労働省医療施設調査)。家で看取ってもらうには、医療機関探しも必要となってきます。元気なうちから死を身近に感じて、何を準備するか考えていきたいですね。